福祉社会は夢物語の社会!

大半の人は自分の生活に対して大なり小なり不安を抱えている。誰しもいつ病気になっ
たり怪我をするかは判らない。また自分の持つ技能が機械に取って代わられたり、産業
構造の変化などで職種そのものが無くなるかも知れない。そうなれば忽ち生活に行き詰
まってしまう。我々は一寸先は闇と言う中で生きている。(他の生物も同じだが)

ならば誰もが安心して暮らせる社会、弱者に優しい社会と言うのは誰しも憧れる社会で
あろう。現在は普通に生活していても何時弱者になってしまうか判らない以上、生きて
行く為のセーフティ・ネットがある社会は極めて魅力的である。福祉社会万歳である。

福祉社会は第二次世界大戦後にイギリス労働党が選挙で「揺り籠から墓場まで」と言う
スローガンで選挙に勝利した事で実行に移された。この巨額の財政支出を必要とする政
策はその永続性に関して精査されたもので無く、本来は短期間で破綻する筈であった。

だが幸か不幸か、この時産業の基幹原料である石油が中東で大量に採掘する事が出来る
様になった。お蔭で電化製品・車・化学繊維など多様な商品が生産されるようになり、
技術先進国である欧米諸国・日本などは大いに潤い、この金食い虫の政策は継続する事
が可能になった。長期間に渡る施行の結果、人々はこの政策が永遠に実行可能なものと
考えるようになり、遂には社会のスタンダードになった。

「助け合い」という言葉が大好きな日本人にも大いに受けて、福祉政策は日本でも定着
した。だが技術後進国の追い上げでこの長期に渡る好景気もやがて終焉してしまった。
世界の富の独占が出来なくなり、国の収入は激減したが、この国民にとって居心地の良
い福祉政策はストップ出来なかった。民主主義下の政府では不人気の政策は採れない。
日本は収入が減少しても生活水準を変えられずに破産するセレブの様なものであろう。

そこへ医学が追い打ちを掛けてきた。医学の進歩で老人が増え、福祉の対象は拡大する
一方となり、財政の不足は顕著になった。財政の不足は増税で対応する以外に無い。
増税は特に中間層を直撃し、彼らを対象とした高付加価値の商品は市場から排斥されて
しまった。低価格品は低い技術で作られ、かつ販売技術も不要になるので、高収入の仕
事が激減した。低価格品は低所得を呼び、日本は負のスパイラルに陥ってしまった。


 <福祉社会の非科学性>

物事を実行するには、その裏付けとなる方法論が無いといけないが、福祉政策にはその
為の資金調達の方法論が見当たらない。増税々々だけでは国民生活が破綻してしまう。
現在でも所得税・消費税・年金・健康保険・ガソリンや酒などの物品税・自動車税・固
定資産税などの住宅関連の税・・・・など幾ら国民から徴収しても足りない位である。
医学は増々進歩するので、現行の社会制度を続ける限り福祉予算は際限なく拡大する。

平均寿命が1年延びただけで数兆円以上の予算が必要になる。行政には無駄な部分もあ
るが、何兆円もの削減は出来ないであろう。高齢者に70・75才まで働いて貰うと言って
も彼らにできる仕事などは日本には殆んど存在しない。現行の社会制度を維持する事は
不可能と言える。福祉社会は願望が創りだした「夢の中の社会」と言えよう。

福祉と言えば北欧の国だが、これらの国々の合計特殊出生率も悲惨な状態である。
2018年の統計ではスウェーデン:1.75、ノルウェー:1.56、フィンランド:1.41、なお
日本:1.42である。少子化の波は日本同様であり、北欧の福祉政策は成功しているとは
言い難い。かの国々でも、子供を育てられないのは日本と50歩100歩である。
幸福度世界トップの国々ですら大半の国民は満足な生活が出来ていないのである。
どの国でも福祉社会を永続させる方法論は持っていない。

どの様な崇高な理念に基づいた政策でも、実行困難なものであればそれは机上の空論と
言わなばならない。方法論を持たずして継続するのは、海図やコンパスを持たずして遠
洋航海に繰り出すようなものであろう。このまま強行すれば社会は崩壊する。
現行の日本社会は「大福に蜂蜜を掛けて砂糖でまぶした」様な大甘の社会と言えよう。


 <産業社会は高コスト社会>

日本では約3000年間農耕社会が続いた。そして19世紀中葉から約100年間の移行期間を
経て20世紀中葉に産業社会に変貌した。農耕社会と産業社会とは社会の構造が全く異な
っているから、両者は異なる価値観で運営される必要がある。しかし我々には3000年の
間に蓄積された記憶が残っている。それは血となり肉となって我々の行動を規制してい
る。状況が急に変化したからと言って、いったん身に付いた価値観・倫理観等を途中で
変える事は簡単には出来ない。日本は思考停止に陥り、滅亡へと突き進んでいる。

農耕社会は単純な生産方式なので人的資質は問題にならない。健康で勤勉であれば充分
である。人の対する投資は食料だけで間に合い、社会を維持するコストは低額で済む。
一方、産業社会では生産方式が複雑になり、その構成員は高度な教育を受けていないと
対応出来なくなった。高学歴化は必然的に起こった現象であろう。

教育は極めて高価な投資である。それを国が支払うか、個人が支払うかは分配の問題で
あり、どちらが支払おうともその社会が生産した富から支出する事には変わりはない。
投資不要の農耕社会、15才までの教育で事の足りた初期の産業社会に比べ、現代社会を
維持して行く為のコストは格段に高額になっているのである。

社会を維持して行く為には子供達を育てなければいけない。今地球上に生息する生物は
あらゆる努力をして子供を育てている。人類も500万年、20万世代に渡り続けてきた。
ところが現代の日本人は現在生きている人の事のみを考え、子供を育てる事は二の次に
考えている様だ。子育てを放棄した種は滅びるほかは無い。


 <高コスト社会に対する方法>

産業社会では農耕社会に比べて大きな余剰が生じたが、これは子育ての為の投資に充て
なければならないものであった。しかし我々はそれを認識せず、福祉と言う現在生きて
いる人の為に使ってしまった。福祉社会は農耕社会と産業社会の過渡期に咲いた仇花と
と言えよう。現に産業社会に移行した国々は全て出生率を落し、滅亡に向かっている。

現代の常識になっている「共生・公助・共助」は農耕社会の発想で、現代では人類滅亡
の合言葉である。「日本の常識は世界の非常識」と言う言葉があるが、「農耕社会の常
識は産業社会の非常識」である。心地よい思想だが、一時の快楽に過ぎない。後にくる
のは地獄のような苦痛であろう。言わばアヘンの様な思想と言っても良い。

産業社会では最も必要な事は子供の教育である。この高額な費用はとても親の収入だけ
では賄いきれない。恵まれていた筈の団塊世代の人達ですら充分な子供の数を育てる事
が出来ていなかった。その時以上に高学歴化しているのに、不況下で暮らす現代の若者
達が育てる事は不可能である。社会の富は子供達の教育費に使われるべきである。

今後若者の所得が上がっても、当然に教員の給与・各種資材の価格も上がるので教育費
も高騰する。両者はイタチゴッコで、産業社会というものは構造的に個々人が単独で子
育てが出来ない社会である。ならば子育ての費用は社会が支払う以外に方法は無い。


<医学と国民健康保険が福祉社会を崩壊させた>

医学は多くの人の命を救ってきた。人間は医学のおかげで生きる事に然程心配する必要
が無くなった。いくら感謝しても足りない位だが、反面恐ろしい副作用をもたらした。
死ぬ事が難しくなってしまった。若い時はヨボヨボになってまで生きていたくないと考
える人がいるだろうが、生き物には生き続けたいと言う強い本能がある。実際その時が
来れば医療を断る事は出来ない。医学は必然的に大量の自活出来ない人を創りだした。

医療は高額であるから受けられない人が多い筈だが、これに国民健康保険が加わった。
現在の制度では高齢者と言うだけで無料に近い医療が受けられる。これさえ廃止すれば
大幅に現役世代の負担は和らぐ。別に現在の高齢者に遠慮する必要は無い。
現在の若者も30年後、40年後には高齢者になる。彼等にも同じ待遇が適用されるので、
特にどの世代に不公平と言う事は無い。要は人の生き方の問題である。

高齢になったからと言って他人から援助を受ける権利もないし、誰も高齢者に援助を与
えねばならないと言う義務もない。ましてや現在は与える方が生活に困窮している。
我々は医学の誘惑を断ち切って「人生は60年!それ以後は運を天に任せる」と考える
以外に社会を存続させる方法は無い。(60才までは現行の保険制度で特に問題ない)

このままでは社会の矛盾は拡大する一方で、後の世代ほど悲惨な状態になる。この原因
が人々の価値観及びそれに伴う社会の制度の問題なので、それが変わらない限り無限に
継続されて行く。適当な時期が来ればこの矛盾が解消するものではない。高齢者たちも
子や孫が可愛ければ自分さえ良ければよいと言う考えを改め、これ以上他人にたかる様
な行為は中止すべきである。親は子の為にあるが、子は親の為にあるのではない。


 <医療関係者に一言>

中には医は算術と考える人もいるだろうが、医療に携わる人達の多くは人を助ける事に
意義を見い出す崇高な精神の方々と思う。だが無料で治療している訳ではないだろう。
今日治療した患者の治療費の事を考えて頂きたい。財務省に打ち出の小槌がある訳で
はない。全部国民から徴収したお金である。国民が優雅に暮らしているなら兎も角、多くの国民は苦しい生活を余儀なくされている。その人達から徴収したお金である。

「木を見て森を見ず」と言う言葉がある。医療行為は患者を治療して終わりではない。
それに掛かった費用を徴収して始めて完結である。医者は目の前の患者だけではなく、
治療の費用を支払っている人達の事も見て欲しい。現在、その人達はどんどん疲弊して
いっている。このまま闇雲に治療を続ければ、将来は治療費を支払う人がいなくなる。
そうなれば医療崩壊である。それを避ける為には現在の治療を制限する以外に無い。


 <普通の人が普通に生きられる社会へ>

我々は長年の間、福祉社会と言う実現不可能な社会を追い求めてきた。戦後の教育を受
けた80才以下の人たちにとっては福祉社会と言うのは有って当然というものであろう。
其れをいきなり否定される事は耐え難いと思う。しかし今までは享受できたのだから、 次世代の人達よりは恵まれていると思う。次世代には最初から無いのである。

教育の費用は2000万円程度と言われている。年間150万人が生まれれば30兆円である。
ついでに弱者からも徴収する理不尽な消費税の廃止の20兆円を加えれば50兆円である。
国民健康保険から60歳以上の人を除外し、福祉予算を削除すれば充分に可能であろう。
(60才以上は保険制度の原則に従い、その発生率と上限金額で保険料を決定する)

福祉は出来る事なら社会の余剰と、余裕のある人たちの寄付で賄われるのが一番良い。
現行の様に社会制度に組み込んでしまうと、一方で普通に生活する人を痛めつける事に
なってしまう。普通の人が苦しむ社会は決して本来の福祉社会の姿ではない。

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