福祉社会は「貧・貧介護」社会!   

 

日本の社会制度は世代間の順送り支援となっている。簡単に言えば現役世代が金を出し
合い、自活能力を失った老人世代を養っていこうという制度である。日本全体が家族の
様なシステムである。大半の人が結婚して1-3人の子供を持つ時代には有効な制度かも
知れないが、未婚や子供をの無い所帯が増えてくれば、その前提条件が変わってくる。

残念ながら医学は人を生かしておくことは出来ても、脳を活性化させる事は出来ない。
産業化された社会では人は脳を使って仕事をするので、脳が劣化すれば使い道はない。
大半の人は60才も過ぎれば能力も気力も低下し、自活に足りる仕事は出来なくなる。
人間も生物である以上、加齢による能力の低下は如何ともし難い。

出生率の下落と寿命の延びで、現役世代に対する老人世代の人口比率は増々増加する。
現役世代は老人達の生活を支えながら、子供を育てると言う2重の負担に耐え切れなく
なっている。若者たちの未婚や子供の無い所帯が増えているのはその証左である。
この状態は今後拡大再生産され、現役世代は増々貧困になり、出生率は更に低下する。
少数の現役世代から収奪できる金は僅かだから、当然ながら老人達も増々貧しくなる。

結局、福祉に重点を置いた現行の社会制度は実行不可能な制度であり、どの様な高邁な
精神に裏打ちされていようと、所詮「絵に描いた餅」に過ぎないと言える。
日本人全体を家族の様に模した現行制度はその前提条件を失い、論理は破綻している。
「老・老介護」が崩壊する様に、「貧・貧介護」の社会は全員が不幸の中で滅亡する。

社会制度の崩壊は徐々に進行するので、どうしても対処療法で切り抜けようとするが、
その内に限界が来る。その時には現行を変革できる能力が残っているとは考え難い。
現在の日本はまさに「茹でガエル」状態になっており、このままでは滅亡するだろう。


<現役世代の生活状況>

現役世代の中央値である40代前半の男性正社員で年収が500万円前後となっている。
一般的な主婦のパート勤務を加えても600-650万円程度である。
夫婦共に正社員なら900-1000万円程度になるが、正社員同士の共稼ぎであれば税金も高
く、子供が居ればその生活の負担は極めて大きいものになる。負担を減らそうとすれば
諸費用が生じるので、苦労を考えれば実質的にはパート勤務の家庭と大差なくなる。

この程度の収入では、所得税・健康保険・年金・消費税等を考えれば左程余裕はない。
もし2人の子供を持ったなら、彼等に充分な教育を受けさせる事は困難であろう。
また、正社員の職に就けない人も少ない訳ではない。彼等は真面な生活も困難な状態に
置かれており、取り合えず自分が今を生きる事しか考えられず、お先真っ暗である。

経済状況が悪いのは程度の差はあれ他国でも同様であり、どの様な政府を作っても大き
な改善は見込めない。20世紀後半の様に多くの人が豊かである世界は再現できない。
ならば、現役世代は今後とも自分の生活を維持するだけで精一杯と考えた方がよい。
日本には「他人を支えるに足るだけの能力を持つ人」はごく僅かしか居ないのである。


<世の中出来ない事は出来ない

自活するだけで精一杯の人に人を助けろと言えば、双方が共倒れになってしまう。
現在の日本で「皆が支え合え」と言うのは「皆で抱き合い心中をしろ」と言うのと同義
語であろう。「支え合う」と言う言葉は美しいが、その結果は残酷である。

日本が「貧・貧介護」の状態にならない為には、冷たい様だが支え合いは出来ない。
弱者を見捨てるのかと怒る人は多いと思うが、無い袖は振れない。
出来ない事は出来ないと割り切る以外に生きていく方法は無い。
福祉関連予算は大幅にカットして、現役世代の負担を減らさないと日本は自滅する。


<健康保険についての一考>

現行の健康保険制度は保険制度ではなく福祉制度になっている。保険制度であるならば
その発生頻度と補償額に応じて料金が決定されねばならない。
身体のトラブルは年齢の要素が極めて大きい為、その料率は年齢で決めるべきである。
(但し、未成年者は自活が出来ないので保険制度の枠外で保護する必要がある)

人間は40才にもなれば白髪・皺など徐々に老化が現れ、50才も過ぎれば大きなトラブル
も生じてくる。60才台で病気に無縁でサプリも飲まない人はむしろ少数派であろう。
当然、其れなりの保険料金を支払ってもらわなくては制度が破綻してしまう。
多分多くの高齢者は負担できないだろうが、加入者の権利は平等でなければいけない。

「老人は死ねと言うのか」と怒る人も居ようが、別に死ねとは言っていない。だからと
言って 特段生きていて欲しいとも思わない。個々人は自由に自分の人生を送れば良い。
日本人は自由な個々人が集まって社会を構成して、その中で自由に生きるべきである。

どうしても現行の制度を維持したいなら、「健康福祉制度」とにでも名前を変える必要
がある。但しその場合は若者達に対して、法外な料金を強制徴収している事を理解をし
て貰うか、彼等の制度からの脱退の自由を認めないと人権侵害になると思う。

また現在の若者達にはよく考えて貰いたい。現行制度は理に適っていない制度である。
あなた達の子供世代は更に人数が少なく、医療の進歩で医療費は増加の一途をたどる。
現行のような制度が何十年後まで続いていると考えるのは極めて楽観的であろう。
あなた達が老人になった時には現行のような保護は受けられないと考えた方が良い。

身体にトラブルが起きたからと言って充分な治療が受けられる権利は誰にもない。
法学者は生存権を主張するかも知れないが、所詮それは一つの学説にすぎない。
筆者は「生活に困窮したら他人に生活費を出させる権利」も、「自分の幸せを犠牲にし
てまで他人を助けなければいけない義務」もないと考えている。


<福祉から寄付へ>

福祉の基本は個々人の善意の寄付で賄うのが筋である。善意の強要は間違っている。
幾ら不運が重なって生活が困窮したからと言って、権利として他人から援助を受けると
言う事はおかしいと思う。(当然の事だと考えられる人も多々居られると思うが)

困っている人が居たら、自分に余裕があれば助けてあげようと言うのは民度である。
その社会の民度が高ければ、自ずから余裕のある人は手を上げるであろう。
金銭的に余裕のない人でも、時間的に余裕があればボランティアを買って出てくれる可
能性もある。もし誰も助けてくれる人が居ないようなら、所詮それだけの社会である。

勿論、自発的な援助は強制的なものより少額になるが、それは仕方がない。
元々善意の量に特定の基準がある訳ではない。出来る範囲内で行うのが道理である。

 

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